生きもの — 2026.07.22 NO.009 / TSUGINOTE SCIENCE

黒猫の黒は、ネコ科で少なくとも4回生まれた

獲物をねらう黒い猫

要点:2025年5月、オレンジ猫の毛色を決める遺伝子がようやく特定されました(Current Biology、スタンフォード大と九州大が同時報告)。ではおなじみの黒猫はなぜ黒いのか。答えは20年以上前に出ていて、飼い猫の黒はASIPという遺伝子の2塩基の欠失(非アグーチ)で説明されます。さらに面白いのは、黒(メラニズム)がネコ科の中で少なくとも4回、別々に生まれたらしいこと(Eizirik ほか, 2003)。ただし「黒いと得なのか」という肝心の問いは、いまも決着していません。

足もとで丸くなる黒猫を見ながら、ふと思ったのです。この黒は、どこから来たのだろう、と。きっかけは、昨年の明るいニュースでした。2025年5月、あのオレンジ猫(茶トラ)の色を決める遺伝子が、ついに突き止められたのです。スタンフォード大学と九州大学のチームが、それぞれ独立に同じ答えにたどり着き、査読誌 Current Biology に同時に報告しました。

犯人は ARHGAP36 という、それまで毛色とは結びつけられていなかった遺伝子でした。X染色体上のわずかな欠失でこの遺伝子の働きが強まり、色素細胞をオレンジ寄りへ傾ける——というしくみです。オレンジ猫にオスが多い理由(色の遺伝子がX染色体にあるから)や、三毛・サビ猫がまだら模様になる理由も、これで筋が通ります。九州大チームは、世界の258匹のデータベースで、オレンジ猫はすべてこの欠失を持ち、そうでない猫は持たないことを確かめたといいます。

では、黒は。オレンジの謎が「去年やっと」だったのに対して、黒猫の“近い答え”は、実はずっと前に用意されていました。

近い答え:黒は「ブレーキの故障」で生まれる

猫の毛色のおおもとには、色素をつくる細胞(メラノサイト)の中の小さなスイッチがあります。MC1Rという受容体がオンだと、黒っぽい色素(ユーメラニン)がつくられます。ここにASIP(アグーチシグナルタンパク質)という“ブレーキ役”が周期的に割り込むと、色素づくりが一時的に切り替わり、毛の一本一本に明暗の縞(バンド)ができます。キジトラのあの複雑な色合いは、このオン・オフの繰り返しが生んでいます。

飼い猫の黒は、このブレーキ役ASIPが壊れた状態だと説明されています。ASIP遺伝子の2番目のエクソンで2塩基が欠けると、設計図が途中でずれ(フレームシフト)、ブレーキとして働く部分が失われます。ブレーキが利かないので、MC1Rはオンのまま。毛は縞にならず、根元から先まで黒い色素で埋まり、全身が真っ黒になります。この変化は劣性で、同じ壊れた型をペアで受け継いだ猫だけが黒くなります。黒猫どうしから黒猫が生まれやすいのは、このためです。

① ASIPが働く → 縞(キジトラ) 黒い帯 明るい帯 ブレーキが周期的に効く ② ASIPが壊れる → 真っ黒(黒猫) 全体が ユーメラニン ブレーキ役ASIPの2塩基欠失(劣性)

遠い答え:黒は、ネコ科で何度もやり直された

近い答えが「どうやって黒くなるか」だとすれば、遠い答えは「黒はなぜ、こんなに何度も現れるのか」です。ここに、私がいちばん心を惹かれた研究があります。エドゥアルド・アイジリックらが2003年に Current Biology に出した、ネコ科のメラニズム(黒化)の進化をたどった論文です。

チームは、色に関わる二つの遺伝子(ASIPとMC1R)を、いろいろなネコ科動物で読み比べました。すると、黒くなる原因の遺伝子の壊れ方が、種によってばらばらだったのです。飼い猫は先ほどのASIPの欠失。いっぽうジャガーの黒(いわゆるブラックパンサーの一部)はMC1Rの別の欠失、南米のジャガランディはまた違うMC1Rの欠失——というように。論文は独立した3つの欠失を特定し、ネコ科全体では黒が少なくとも4回、それぞれ別々に生まれたと見ています。

同じ「黒」に、ちがう道から何度もたどり着く。これは進化では珍しくない現象ですが、これほど繰り返されるとなると、「黒いこと」自体に何か意味があるのでは、と想像したくなります。ただし——その先は、まだ慎重に。

ここは、そっと括弧に入れて読む

「何度も生まれた=黒いと有利」と結びつけたくなりますが、その一歩は急がないほうがよさそうです。黒が生きものにとってどんな得(あるいは損)になるのかは、いまも決着していない問いです。暗がりでの狩りに有利という見方、体温や紫外線との関係、仲間どうしの見え方に関わるという説——いくつも提案されていますが、どれも「これで決まり」とは言えていません。

さらに慎重になりたいのが、健康との関係です。MC1RやASIPは色だけでなく、体のほかの働きにも関わる遺伝子として知られ、「黒い猫は病気に強いのでは」という仮説が語られることもあります。けれどこれはあくまで仮説で、黒猫が健康だと決まったわけではありません。オレンジ猫の論文でも、ARHGAP36がヒトの病気にも関係する遺伝子だと触れられていますが、著者らの言い方は「医学的な意味があるかもしれない」という控えめなもの。色の遺伝子から健康の話へ飛ぶときは、括弧を外さずに読みたいところです。

問い言えそうなこと括弧に入れておくこと
黒猫はなぜ黒い?ASIPの2塩基欠失(非アグーチ・劣性)でブレーキが外れ、全身が黒色素に複数の毛色は他の遺伝子も関与。ここは黒単色の話
黒はネコ科で何回?少なくとも4回、別々の遺伝子変化から独立に生まれたと報告系統や標本に基づく推定。今後さらに更新されうる
黒いと得?健康?諸説あるが未決着。有利とも健康とも確定していない健康との関係は仮説段階。断定は禁物

そう思って、もう一度ひざの上の黒を見ます。この一色は、ブレーキ役の小さな綻びから生まれ、しかもネコ科という大きな家系の中で、何度も別々に描き直されてきた色でした。オレンジの謎が去年やっと解けたように、黒が「なぜ選ばれるのか」も、いつかもう少し見えてくるのでしょう。答えの出た部分と、まだ出ていない部分を分けて数えながら、私はこの静かな黒を、これからも愛でていきます。

出典:Hidehiro Toh, Hiroyuki Sasaki ほか(九州大)/Christopher B. Kaelin, Gregory S. Barsh ほか(スタンフォード大)「オレンジ毛色に関わるARHGAP36の報告」Current Biology, 2025年5月15日(2グループ同時掲載). DOI: 10.1016/j.cub.2025.03.075 / Eduardo Eizirik, Naoya Yuhki ほか「Molecular Genetics and Evolution of Melanism in the Cat Family」Current Biology, 2003. DOI: 10.1016/S0960-9822(03)00128-3。遺伝子名・変異・独立起源の回数・調査規模は一次発表に基づく。日本語での言い換えはメデルによる。健康との関連は仮説段階で確定的な助言ではない。
EDITOR'S NOTE — メデル:黒猫が「不吉」と言われた時代がありました。でも中身を見れば、そこにあるのはブレーキ役の小さな欠失と、何度もやり直された進化の跡。意味づけは人間の勝手で、猫はただ黒い。だからこそ、「なぜ黒いのか」を事実の側から数え直すのが好きです。得か損かは、まだ猫にも聞けていません。