記録は500年ぶん残っていたのに、病原体の名前だけが決まらなかった。チリのミイラ2体が埋めた一点。
要点:チリ北部カマロネス9遺跡で自然にミイラ化した2人の遺体から、天然痘を起こすバリオラウイルスのゲノムが回収されたと Science に報告されました(2026年7月30日公開・査読済み・DOI: 10.1126/science.aee6957)。アメリカ大陸では初めての古代天然痘ゲノムで、CAM9 と名づけられた系統は、中世ヨーロッパの株と20世紀の株のあいだに収まりました。ただし主張を支えているのは「2体」という数ではなく、その配列が系統樹のどこに座ったかです。そして著者たちが最も慎重に書いているのは、そこから先の一点でした。
ある病気がいつどこへ入ってきたか。文字の記録があれば分かりそうなものですが、実際には難しい問題です。植民地期の年代記には流行の記述が残っています。ただ、当時の記述は症状と被害の規模を書くもので、原因となった病原体を名指しできません。発疹が出て人が大勢死んだ、という記録から、それが天然痘だったのか、麻疹だったのか、別の何かだったのかは決まらない。
ウイルスは骨も殻も残しません。だから記録の外に出た瞬間、証拠が消えます。今回の報告は、その消えたはずの側から出てきたものです。
探していないものが出た
この研究は、天然痘を探しに行った研究ではありませんでした。チリ大学の生物人類学者 Constanza de la Fuente Castro 氏らのチームは、もともとチリ北部に暮らした人々の由来と集団史を調べるために、遺跡の人骨から古代DNAを読んでいました。共著者の一人は取材に対して、当初の計画は病原体を探すものではなかった、と述べています。
そこにトリニティ・カレッジ・ダブリンの博士課程学生 Bruno Romero González 氏(本論文の筆頭著者)が、既に読み終えた配列データを古代の病原体の痕跡について走査してはどうか、と提案します。ヒトを読むために取った配列の中には、その人に感染していたものの配列も混じっている。その前提で、既存のソフトウェアに古代の細菌・ウイルスの署名を探させたところ、カマロネス9(Camarones 9)遺跡に埋葬された成人女性と若い男性の試料から、バリオラウイルスの断片が出ました。
2人の推定死亡時期は1492年から1631年のあいだ。2つのゲノムはほぼ同一で、同じ流行、あるいは同時期にその地域を回っていた同じ株に由来すると考えられると報告されています。
2ゲノムで、大陸規模の話ができるのか
ここが最初に引っかかるところだと思います。2人です。数百万人が関わったとされる出来事に対して、2人。
ただ、母数の側を見ると印象が変わります。20世紀より前のバリオラウイルスのゲノムは、これまで7世紀のヴァイキング期の遺骨から得られた一群と、17世紀のリトアニアのミイラから得られた1本しかありませんでした。つまりこの分野の既知の総数は、二桁にすら届いていない。研究に関与していないカナダ公衆衛生庁・国立微生物学研究所の Ana Duggan 氏は、2ゲノムは多く聞こえないかもしれないが、歴史的なバリオラウイルスゲノムの総数から見れば大きな一歩だ、という趣旨のコメントを寄せています。
それでも、「2人が感染していた」ことと「大陸全体でどう広がったか」は別の主張です。この論文が実際に支えているのはどちらなのか。整理しておきます。
| 言われていること | 直接支えている証拠 | 強さ |
|---|---|---|
| 植民地期のチリに天然痘が存在した | 2個体からのウイルスゲノム | 分子レベルで直接 |
| この株はヨーロッパ由来の系統に属する | 既知の古代株・現代株との系統関係 | 系統樹上の位置として |
| 2人は同じ流行で感染した | 2ゲノムがほぼ同一であること | 妥当な推定(他の説明も残る) |
| 先住民集団の人口減少の主因だった | 本研究の対象外 | この論文からは言えない |
※ Science(DOI: 10.1126/science.aee6957)および Nature ニュース(2026年7月31日)の記述をもとに本紙で整理。最下段は本研究が扱っていない範囲を示すための行です。
効いているのは年代ではなく、枝の位置
2人の死亡時期の推定幅は1492年から1631年、およそ139年あります。かなり広い。ここだけを見て「ヨーロッパ人の到達直後」と読み切ることはできません。
この論文の議論を支えているのは、年代測定の精度ではなく分子時計と系統関係のほうです。CAM9 の配列を既知の古代株・現代株と並べて系統樹を描くと、この系統は中世ヨーロッパの株から分かれたあと、20世紀のすべての株の祖先となる系統より前の位置に収まりました。Nature のニュース記事は、ヨーロッパの枝から分岐したのは13世紀ごろと推定された、と報じています。
分岐の推定年代と、2人が亡くなった年代は別のものです。ウイルスが海を渡るより前に枝が分かれているのは当たり前で、そこは矛盾ではありません。主張の骨格はこうなります——南米で見つかったこの株の最も近い親戚は、南米の古い何かではなく、ヨーロッパの中世の株だった。この系統は独立に南米で生まれたのではなく、外から持ち込まれた枝の続きである、という読み方です。
チリでは、天然痘についての文字記録がそもそもずっと後の時代からしか残っていないと共著者は述べています。ここに天然痘があったこと自体、記録の側からは知られていなかった、と。
記録が語らなかった空白に、配列のほうから点が一つ打たれた。今回いちばん確かなのはこの部分だと思います。
約200年、時計が遅くなっていた
もう一つ、著者たちが挙げているのが進化速度の変化です。バリオラウイルスは、ヒトだけを宿主とするように特化していく過程で、不要になった遺伝子を変異によって使えなくしてきたと考えられています。CAM9 はその途中の段階を保存していて、天然痘がアメリカ大陸に届いた時点までに何が済んでいて、何がその後に起きたのかを切り分ける手がかりになると説明されています。
速度の推移を追うと、数世紀にわたって比較的一定のペースで変異が蓄積したあと、およそ200年のあいだ、ゲノムの変化がずっと遅くなった時期があったと報告されました。この停滞はヨーロッパの植民地拡大の最盛期と重なります。人の移動が増えて流行が繰り返される状況では、すでにヒトによく適応した型がそのまま有利で、変わる理由が乏しかったのではないか。そうした解釈が示されています。そして速度は19世紀、広範な種痘が始まるころに再び上がります。
ただし筆頭著者は、因果関係があるとは言えない、しかし少なくとも怪しくはある、という趣旨の言い方をしています。時期が重なっていることと、それが原因であることは別です。ここは論文の側が自分で線を引いている箇所です。
言えないほうを、はっきりさせておく
この報告から出ない結論を並べておきます。
第一に、2個体・1遺跡です。チリ北部の一つの集落で、ある時期に回っていた株が1系統見えただけで、大陸のどこにいつ何が入ったかの地図にはなりません。第二に、人口減少の規模や原因の内訳は、この研究の対象外です。アメリカ大陸の先住民社会の被害についてはさまざまな推計がありますが(報道では400万人という数字が引かれています)、いずれも本研究が算出したものではなく、推計の幅も大きいものです。第三に、この2人の死因がこのウイルスだったと確定したわけではありません。ゲノムが示すのは感染していたことであり、死因の特定はそれとは別の問題です。
そして、古代DNAの解析そのものにも限界があります。共著者は取材に対し、扱っているのは濃度が低く時間とともに損傷が蓄積したDNAであり、回収も解析も難しい、と述べています。これは天然痘に固有の問題ではなく、古代の病原体・ヒト・その他の生物に広く共通する制約です。
この研究チームは、もう一つ別のことも述べています。試料を国外へ持ち出して解析するのではなく、見つかった地域の側に解析と保存の力を育てるべきだ、という主張です。そのほうが公表までは時間がかかるが、知識がその地域に根づく、と。今回の成果自体、集団史を専門とするチリ側と、病原体を専門とするアイルランド側が、それぞれの得意を持ち寄って生まれています。
次に確かめられることは、はっきりしています。他の遺跡、他の時期、他の地域から、同じようにゲノムが出るかどうかです。1点では線が引けません。2点目が中央アンデスの別の場所から、あるいは16世紀の別の年代から出たとき、この枝が本当に一度の持ち込みなのか、それとも複数回だったのかが初めて問える。今のところ手元にあるのは、記録が黙っていた場所に打たれた最初の点です。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.09
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