いちばん正確な時計には、時を測っていない時間があります。それを埋める新しい方法は、原子を止めずに流し続けるものでした。
要点:東京大学大学院工学系研究科の西田光輝さん・竹内亮人さん・香取秀俊教授らと日本電子の共同研究グループが、極低温ストロンチウム原子を移動光格子で運びながら分光し、半値全幅1.2ヘルツの時計遷移スペクトルを観測したと報告しました(査読済み・Nature Communications 17巻7662、2026年8月6日オンライン公開、DOI: 10.1038/s41467-026-76017-1)。ねらいは、冷却・準備・励起・検出を順番に回すあいだに生じる測定の空白=デッドタイムをなくすことです。今回はその空白を、時間ではなく流路上の場所で分けました。ただしゼロデッドタイム動作そのものは、2つの原子集団を交互に測る別方式で先に達成されています。今回の位置づけは「達成」ではなく「別のルート」で、効きどころは安定度より装置の小型化のほうにあります。
最も正確な時計と呼ばれる光格子時計は、いま原子の共鳴周波数を10−18台の相対不確かさで再現できるところまで来ています。1秒を千京分の1まで揃えられる、という桁です。この数字だけを聞くと、装置は休みなく時を刻んでいるように思えます。
実際はそうではありません。従来の光格子時計は、原子を冷やし、状態を整え、時計レーザーを当てて励起し、その結果を検出するという一連の手順を、順番に繰り返します。このうち原子が時計レーザーの周波数を測っているのは、励起の区間だけです。それ以外の時間、レーザーの周波数がどうふらついていたかは、誰も見ていません。この空白がデッドタイムです。
空白があると、なぜ精度ではなく安定度が削れるのか
空白のあいだにレーザーが揺れても、次の測定はその揺れを「なかったこと」として拾えません。飛び飛びに標本を取るせいで、速い揺らぎが遅い揺らぎのように誤って現れてしまいます。この折り返しの効果をディック効果と呼びます。原著の抄録は、この効果が「局所発振器の雑音を時計信号に折り返し、発振器の位相情報を連続して蓄えることを妨げる」と書いています。
ここで区別しておきたいことがあります。デッドタイムが削るのは、主に安定度(同じ測定を繰り返したときのばらつきが、どれだけ速く小さくなっていくか)です。時計の正確さ、つまり真の周波数からどれだけずれているかとは別の話です。安定度が低いと、目標の桁に届くまで長い時間の平均が必要になります。持ち運べる装置で現場を測りたいときには、この待ち時間がそのまま使い勝手になります。
時間で分けていたものを、場所で分けてしまう
今回の方法は、手順を並べる軸を取り替えます。同じ場所で順番に行っていた冷却・準備・励起・検出を、原子の流れに沿った別々の場所に割り当て、違う原子に対して同時に進めるのです。
原子を運ぶのは移動光格子です。向かい合う2本のレーザーの周波数にわずかな差をつけると、光でできた格子状の閉じ込め位置がゆっくり動きます。研究グループはこれを「原子のベルトコンベヤー」と呼んでいます。時計レーザーは、流れを横から横切るのではなく、流れと同じ軸に沿って当てます(縦励起)。動く原子に光を当てれば普通はドップラー効果で共鳴がずれて見えますが、原子を光の波長よりずっと狭い範囲に閉じ込めるラム・ディッケ束縛が効くため、この広がりが抑えられるとされています。
そして肝になるのが磁場です。励起領域だけに横向きの磁場をかけ、その場所を通っているあいだだけ時計遷移が起きるようにしています。相互作用を時間で区切るのをやめ、場所で区切ったわけです。この設計のおかげで、原子の位置がそのまま「レーザーに照らされた時間」に対応します。研究グループは、基底状態と励起状態を行き来するラビ振動が流れに沿った縞模様として現れるところを可視化しました。
1.2ヘルツという幅は、何で決まっていたのか
報告された数字を並べます。原子は長さ12ミリメートルの励起領域を、秒速16ミリメートルで通り抜けます。発表資料はこのとき相互作用時間が0.75秒だと書いています。念のためこちらで割ってみると、12を16で割って0.75。数字は素直に合います。
| 項目 | 報告された値 |
|---|---|
| 原子 | 極低温ストロンチウム(抄録の表記は 88Sr) |
| 励起領域の長さ | 12ミリメートル |
| 輸送の速さ | 秒速16ミリメートル |
| 相互作用時間 | 0.75秒 |
| スペクトルの半値全幅 | 1.2ヘルツ |
スペクトルの幅は、原子とレーザーが向き合える時間が短いほど広くなります。この時間から決まる下限をフーリエ限界と呼びます。ごく粗い見当として相互作用時間の逆数をとれば0.75秒で約1.3ヘルツですから、観測された1.2ヘルツはその見当と同じ桁に収まっています。発表資料も抄録も「フーリエ限界に近い」という言い方をしていて、限界に到達したとは書いていません。
ひとつ注意しておきたいのは、この1.2ヘルツを時計の性能と読み替えないことです。これはスペクトルの細さで、時計の不確かさや安定度の数値ではありません。今回の発表資料に、時計として動かしたときの安定度の値は示されていません。
ゼロデッドタイムには、すでに別の道から到達している
ここが今回いちばん書いておきたかったところです。デッドタイムをなくすという目標そのものは、別の方式で先に実現されています。冷やしたストロンチウム原子(87Sr)の集団を2つ用意し、片方が測っているあいだに片方が準備する——つまり交互に受け持つ方式です。この構成で、1万秒から2万秒のあいだに10−19台の不安定度、2万秒で2.9×10−19という値が報告されています。Physical Review Letters の受理済み論文として同誌のサイトに掲載されており、プレプリントは2025年9月に arXiv で公開されています。
ですから、今回の成果を「これでデッドタイムがなくなる」と読むと、順番を取り違えます。2つの道はねらいが違います。
交互方式は、いまある装置の構成を大きく変えずに空白を埋める。連続輸送方式は、原子を止めないという前提そのものを取り替える。
連続輸送のほうが向いているのは、装置を小さくしたい場面です。デッドタイムがあるあいだ、時計レーザーの周波数を保つ役目は、レーザー自身の安定化装置(真空槽に入った参照共振器や防振の仕組み)が背負っています。原子が絶えず周波数を測って補正できるようになれば、この大がかりな部分への依存を減らせるという見通しが立ちます。発表資料はここを小型化の根拠として挙げ、重力場や地殻変動を測る高精度センシングへの展開に触れています。ただし装置がどれだけ小さくなるかという数値は、今回の発表には出ていません。
まだ言えないことを3つ
第一に、今回実証されたのは分光です。原子を供給し続けながら細いスペクトルが取れることは示されましたが、その信号でレーザーを連続的に補正し続ける動作(ゼロデッドタイム動作)は、抄録の言葉では「実用的な道筋を与える」段階にとどまります。
第二に、使われた原子は抄録の表記では 88Sr です。いっぽう時計として広く使われているのは 87Sr で、上に挙げた交互方式もそちらを使っています。今回の仕掛けのうち「励起領域だけに磁場をかける」という部分は、88Sr の時計遷移を起こすためにも磁場を要する事情と結びついています。同位体を替えたときにこの設計をそのまま持ち込めるのかは、本紙が読めた発表資料と抄録の範囲には書かれていませんでした。原著の全文は参照していません。
第三に、比較の土俵がまだ揃っていません。交互方式には安定度の数値がありますが、連続輸送方式にはありません。どちらが有利かは、同じ物差しが出てから初めて言える話です。
次に確かめられること
いちばん近い節目は、この分光でレーザーを実際に補正し続けたときに、アラン標準偏差がどこまで下がるかでしょう。そこで交互方式に並ぶ数字が出れば、小型化という利点がそのまま効いてきます。並ばなかったとしても、どこで足りないのかは分かります。
もう少し先には「秒」の再定義があります。国際的には2030年に新しい定義案が上程される見通しで、光時計をどう定義に組み込むかの議論が続いています。定義を担うのが据え置きの大型装置だとしても、それを各地に配って現場で使うところでは、休まず測れて小さいことがそのまま価値になります。今回の報告は、その配る側の技術に一本の道を足したものだと私は読みました。原著の全文が読める環境にある方は、図2のフィッティングと残差をぜひ確かめてみてください。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.20
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